この夏一番暑い日


暑い。いつまで続くのだろう。さすがの蝉も啼き疲れてしまうような暑さだ。通勤でもわずかの日陰を探して歩く。去年はベランダに作ったゴーヤの緑のカーテンが、家の中の暑さをしのいでくれた。しかし今年はそれでもしのぎ切れない。暑いのが好きなマサイだが、さすがに今年は閉口している。

最高気温が35度以上の猛暑日を記録したのは 東京都心で12日。1995年に記録した計13日の過去最高に迫っている、と新聞に載っていた。明日にでもその記録を更新しそうだが、15年間破られなかった記録の年は、息子が生まれた年だ。確かに暑かったことは記憶している。10月1日生まれなので、細君はその暑い8月を大きなお腹で頑張って乗り切ってくれた。

暑かった記憶はあるが実感としては残っていないので、どれくらい暑かったかの記憶はない。しかし今年の暑さはしばらく記憶に残りそうだ。新記録を達成しそうな今年の暑い夏の中でも一番暑い思いをしたのは、印象的な建物の前だった。

8月に息子の全国中学校水泳競技大会の応援で 広島へ行って来た。早目に出番が終わった日に、細君と原爆ドームを見に行った。この建物はニュース映像や写真でなら何度も見たことがあるが、現物を見るのは初めて。午後の強い日が容赦なく照りつけていた。

昭和20年8月6日8時15分、世界で初めて投下された原子爆弾がこの町の600m上空で炸裂した。取り返しのつかない史実。それが目の前にある。見て驚いた。建物が何かを発している。叫んでいるようだ。それは悲痛な叫びだった。叫びが炎のように燃え上がっている。この建物から放たれているとてつもなく強いエネルギーに圧倒された。

見ていて悲しかった。体の内側から震えが這い上って来た。一刻も早くこの場を離れたいという思いと、このままここでずっとこの建物が発する叫びに向き合っていたいという相反する思いにとらわれていた。瓦礫とむき出しになった鉄骨。中身は何もない。いや中には一瞬にして奪われた昭和20年8月6日8時15分という時が存在していた。

たくさんの人が訪れていたのだが、建物をバックにピースサインをしてにこやかに写真を撮っている若い輩を無神経なことをと憤りを感じた。

翌日には 広島駅前から被爆した市電に乗ることができた。被害者たちを勇気づけるために3日後には運行を再開し、今もなお現役で走り続けている。車内は昔懐かしい作りだったが、この市電も乗っている間中語りかけてきた。市電が持っている記憶を乗客に伝えているのだろう。どんなことがあったのか、永遠に語り続けてくれる。

午後にまた平和公園を歩いてみた。暑い日盛りの日が何もかもを白っぽく見せていた。音すらも呑み込んでしまったようで、静かだが重い日差しだった。ここでこんなに強烈な印象を受けるとは思ってもみなかった。

平和ということ真剣に考えざるを得ない。全国から集まって来たアスリート中学生たちが競技後に原爆ドームを見、平和祈念資料館に入って行った。それだけでも 広島で全国大会をやった意味があったのではないかと考えた。最高の暑さとともに頭の中に焼き付けられた広島の記憶は、暑かろうが寒かろうが頭の中から決して消えることはない。

テサロニケ人への手紙第二 3:16
どうか、平和の主ご自身が、どんな場合にも、いつも、あなたがたに平和を与えてくださいますように。どうか、主があなたがたすべてと、ともにおられますように。



ローマ人への手紙 15:13
どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。


月刊マサイで引用している聖書本文は、新改訳聖書第三版(©新日本聖書刊行会)を使用しています。
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